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日本の小学校はどうなってしまったのか

AERAにこんな記事がありました。

「給食中は私語一切禁止」学校を取り巻く“不自由”の実態

子供が日本の公立小学校に入って、一番驚いたのが、細かい規則が多いことです。

・習っていない漢字は書いてはいけない
・休み時間は外で遊ばなければいけない
・朝礼で上着を着てはいけない
・お絵かきで太陽を描いてはいけない
・友達はあだ名や「くん」付けで呼んではいけない
・下敷きや筆箱、鉛筆などは無地のものに限る

などなど、細かいルールがたくさんありました。
ひらがなの書き方ひとつでも、微に入り細に入り「トメ」「はらい」を厳しく指導されます。

私の子供の頃はこんなものはなかったので、
「一体日本の学校はどうなってしまったのか」と思います。

休み時間を過ごすだけでも、「先生、教室で絵を描いていてもいいですか」と許可を求めないとならないと言うのです。

「周りに合わせる」に適性がある子もいる

私の子供の頃の公立学校は、こんな感じではありませんでした。

おそらく、きっと、何か理由があると思います。
一つには、社会に余裕がなくなり、お互いがお互いを「ルール」で縛らなけければならなくなったこと。
教育現場が忙しすぎて、ルールを作ってマニュアル化しないと間に合わないという事情もあるのでしょう。
「不公平感」を口に出す人が多く、いちいち例外に対応したり、説明したりする時間がないのかもしれません。

私は、だから親が戦って変えるべき、とは思いませんでした。
周りには、こういう教育にすんなり適応できるお子さんもいたからです。

そういう子達は、「周りに合わせること」「細かいルールを守ること」自体に適性があるんだろうな、と理解してました。そのまま会社に入り、配属された場所でうまく適応できる人もいっぱいいます。実際に、軍隊や工場のように細かいルールが必要な職場もありますしね。

「周りに合わせる」が嫌いでも、友達やらクラブ活動やら、自分なりの楽しみを見つけてうまく対応できてしまう子もいます。そういう子も大丈夫かもしれません。

一方で我が家のように無気力になり、登校しぶり・不登校になってしまうタイプは、きっとそこには適性がないんだと思います。サッサと他を探した方が良いのかな、と思いました。

もちろん、それはものすごく面倒なことです。でも国に頼れないなら自分でやるしかない。
人は一人一人違うので、教育方法もそれぞれ違うのだと思います。

マレーシアだと、公立学校でもマレー語の学校、タミル語学校や北京語学校、各種宗教の学校があり、学校に個性があります。さらに各種インターナショナル・スクールや認可のないホームスクールもあり、玉石混合ですが選ぶことができる。「中国語をマスターさせよう」とマレー人の親が子供を小学校の数年間だけ中華学校に入れることもあります。

ルールはものすごく厳しい学校もあり、体罰があるところもあります。一方で、夢の国かと思うほど、自由なところもあります。

本当は、こうした選択肢が日本にも増えていくのが良いのですが、それにはまず、保護者がニーズを証明するところかな、と。だから私は自分で勝手に動くことにしました。そして、自分で選択する人は増えてる気がします。

「選択肢がある」だけで救われる子供がいると思うんですよね。

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みんな、他人を気にしすぎている

ときどき、他人のことを気にしている人がいますよね。
よせばいいのに、他人の人生にあれこれ口を出してしまいます。

頭が暇だと他人が気になり始める

私も、そんな時期がありました。

会社員だった頃、仕事があまりにもつまらなくて耐え難かった私は、いつも他人ばかり見ていました。

別の会社で出張していく友人を見ては「羨ましい」とひがんだり、
結婚して退職していく同僚を見ては「いいなぁ、辞められて」と思ったり。
自分がハッピーじゃなかったので、いつもいつも、人を羨んでいました。

かと思えば、野球選手やら歌手やら、他人の人生にやたら興味を持っては、
追っかけよろしく情報を集めたりしていました。
実際に、地方都市までロックバンドを追っかけて行ったこともあります。

しまいには、彼らのやることなすことに興味を持ち、その人が失敗したりすると「何やってんのよ。こうしたほうがいいのに」などと、批判したくなるんですよ。
ところが、冷静になってみると、自分が彼らに対してできることは、ほぼなんもないのです。

虚しい……。

そこに気づいてしまうと、心底からそう思いました。

要するに、ヒマだったのですよね。猛烈に。

いえ、仕事は忙しく、毎日残業してましたから、忙しかったのです。
でもね、頭の中が暇なんですね。
要するに、仕事は機械的にしてるだけで、他に考えることがないんです。

自分の人生に向き合う勇気がなかったんですよね。今思うと。
ある意味、恵まれていたのだと思います。

だから、他人のことが必要以上に、気になってしまうんです。
相手の人生をシミュレーションして、断罪したり、冒険したり、アドバイスしたりしてしまうのです。
他人のことを考えているうちは、自分の人生に向き合わなくて済むから。

自分に向き合うのには勇気がいる

そんな私も、ある日、ハタと気がついて、このままではいけないと自分に向き合うことにしました。
これはなかなか辛い作業でした。

野球選手や、ロックスターとは違う、大した能力もない、等身大の自分と向き合うわけです。
そんな自分が何ができるのかを考えていかないとならないのですから。

自分で挑戦を始めると、人生、そうそう上手くはいかないです。
今までは野球選手やら歌手やらに自分を投影しては、「ああすればいいのに」などとコントロール願望をぶつけていたのに、自分で挑戦してみると、そんなに甘いものではないことがわかってきます。

もう一つ、相手に嫉妬してしまうときには、「自分はこの人みたいになりたいんだな」と認めるようになりました。これもまた、辛い作業ではありますが、嫉妬とは要するに願望なんですよね。
何かが「憎らしい」「羨ましい」と思うときには、多分自分も深層心理ではそれをしたくてたまらないんですよ。
だったら、素直にそこに従って自分も「そうなる」勇気を持てばいいのです。

こうして、他人のことを考える時間は減っていきました。

他人のことより、自分のことに集中する

今でも、かつての私のように他人にばかり時間を使いたい人を見ると、「ああ、わかるなー」と思います。
日本という国は、やはり恵まれているので、頭の中が暇でもやっていける人がたくさんいるのです。

マレーシア人にも、たまに他人が気になって仕方ない人がいます。
日本のように芸能ゴシップが少ないので、リアルな人間関係に口を出してきたりして、やっぱりトラブルメーカーになることが多いです。
見ていると、ある程度恵まれて、頭が暇になってしまっている人が多いです。

自分でコントロールできる自分のことに集中したほうが、ずっと気楽だし楽しいんじゃないかなっと思いますね。

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マレーシアは異文化コミュニケーションのトレーニングセンターだ

先月の渡部幹さんの記事が、800いいねを超えました。
http://www.malaysia-magazine.com/news/36778.html
これね、本当にそうなんですよ。
マレーシアには、言語の天才じゃないか?と思う人が多く存在しています。

例えば、先日一緒に旅行した中華系マレーシア人。
日本語は読み書き喋り共に、ほぼ大丈夫。
日本語の原稿も書いてます。
マレーシアには、言語の天才じゃないか?と思う人が多く存在しています。

なんでそんなに自然な日本語で話せるの?と聞いたら、「Youtubeでバラエティ番組を見ているうちに覚えた」とのこと。
バラエティ番組を見ていると、下に字幕が出ますよね。あれを頼りに、少しずつ語彙を増やして行ったのだとか。
留学経験どころか、語学学校に行ったこともないそうです。
それどころか、「日本語の教材ビデオなんてつまらないから見たことがない」と言ってます。

そんなわけで、今四人ほど、マレーシア人のライターさんたちがいます。
彼らは日本語で文章を書きます。例えばこんな感じです。

ペタリン・ジャヤにある泊まれる図書館「Books and Beds」を体験してきました

日本語も、別に完璧じゃなくても、良いのです。
日本人だって完璧な日本語書ける人なんていませんからね。
私だって間違えてばかりです。

彼らの原稿は、何より内容や着眼点が違う。
マレーシア人が書いた日本語の記事、やっぱり日本人と少し視点が違うんですよ。

マレーシア人は日本語で書く。
日本人は英語や中国語で取材して書く。
お互いに、影響を受けていく。
そしてマレーシアの得意とする多文化・多人種・多言語を混ぜて展開していく。

渡部先生の言う通り、異文化コミュニケーションのトレーニングセンターとしてマレーシアは最適です。

名付けて「編集部@東南アジア」。妄想が進んでしまった。
でも楽しそー。

 

と言うか、もうすでに半分そうなってるね。
ワクワクしますね。